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29件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2014-11-05 第187回国会 衆議院 外務委員会 第5号

また、廖承志副団長は、世の中は道はない、歩く人が多ければ道となるという魯迅の話を引用し、歩き続ければ日中友好の道が開拓されることになると話されたと言われています。  代表団は、十三日間の滞在中、東京、名古屋、京都、大阪など六都市を訪問し、各地で交流した日本人は実に七、八万人を超えるとも言われております。

伊藤忠彦

2014-03-25 第186回国会 参議院 外交防衛委員会 第5号

○国務大臣(岸田文雄君) ただいま委員の方から魯迅のお話を伺いましたが、言うまでもなくこの近代中国を代表する文学者であり、日本教科書も、たしかあれ中学校の教科書で私は「故郷」という作品を読んだ記憶がありますが、小中学生を始め多くの方々に親しまれております。私も「阿Q正伝」は読んだ記憶があります。  

岸田文雄

2011-07-29 第177回国会 衆議院 経済産業委員会 第16号

魯迅の詩でこういう詩があります。千夫の指にあらがうですかね、そして、こうべを伏して、甘んじて孺子の牛とならんという言葉があります。ですから、これはやはり、批判は結構です。いかようにもそれは受けます。至らぬ点は直します。しかし、今、きょうここで私がわかりましたといって、委員の意見をそのまま聞いて席を立つわけにはまいりませんので、責任を果たします。

海江田万里

2011-02-25 第177回国会 衆議院 予算委員会第三分科会 第1号

もともとは魯迅言葉でしょうか。私、大変印象深く、感銘を受けて拝聴いたしました。  というのは、私が学生のころ、菅直人さんが、あきらめないで参加民主主義をめざす市民の会というのをやっているのをちょっと知りまして、その講演会江田三郎先生がお出になった。その後、一人で社会党を離党されて、菅さんと一緒に社会市民連合をつくって、全国区の参議院比例に出るということを表明されたんですね。

中島政希

2002-04-02 第154回国会 参議院 文教科学委員会 第5号

そして、再編・統合ということが、数減らし目的とすることでもなく、また行政改革の一環としてのその予算の関連での縮小を図るようなそういう目的ではなくて、ひたすら、今おっしゃった、人間を確立するという魯迅言葉を御引用になりましたけれども、しっかりした人材を育成していく、優れた研究を活発にしていく等のそうした使命を持った大学を世界に比肩し得るものに充実をしていくという願いを込めてやっているわけでございます

遠山敦子

1991-11-26 第122回国会 衆議院 国際平和協力等に関する特別委員会 第7号

また、中国文学者であり大思想家である魯迅は、仙台医学専門学校に二年間遊学されました。そのよしみで、現在でも日史友好のかけ橋として仙台の人々の敬愛の的になっております。また、インドの革命家ビハリ・ボース氏の亡命を助けて手厚く保護をされた相馬黒光さんも仙台出身でいらっしゃいます。近くは姉妹都市ミンスクの、チェルノブイリ原発被害子供たちに温かい救援の手を官民挙げて差し伸べております。

佐藤瑩子

1981-10-27 第95回国会 参議院 文教委員会 第3号

私自身、中学時代教科書魯迅の「故郷」に触れ、中国中国人を知る契機となった。文部省の調査官は反省し、高さんの文章を復活させてほしい。 こういう談話が載せられております。私も「失われた私の朝鮮を求めて」というこの文章は非常に印象深く受けとめたわけですが、「私にとっての日本語」と、次のようになっておるのですね。  

小野明

1978-10-17 第85回国会 参議院 外務委員会 第4号

かつての孫文魯迅あるいはいまの中日友好協会廖承志さんあたりのたどった足跡というものを考えましても、果たしてどうであったかということを、いま云々する立場ではございませんけれども、そういう禍根を残さないためにも、この辺は基本的な今後の日本政府としての受け入れの態勢というものは万全を期さなければならぬだろう。

渋谷邦彦

1978-06-01 第84回国会 参議院 法務委員会 第13号

寺田熊雄君 それから、政治亡命についてお尋ねをしたいわけでありますが、これはずいぶん歴史の古い問題で、戦前でも孫逸仙亡命、それをば頭山満とか犬養毅とかいうような人がかばったとか、あるいは上海租界先魯迅内山完造氏がかばったとかいろいろこれは歴史がありますし、戦後も台湾におる中国人日本に来ると。

寺田熊雄

1978-03-02 第84回国会 参議院 外務委員会 第5号

やはり魯迅仙台において、あれは藤野先生でしたかな、あの人格に打たれたように、そういういいものを日本人は持っているんです。  ところが、いろいろ留学生を取り扱う機構になると、責任をかぶっちゃいけないという形で言うことも言わない、取り締まりだけは厳重にやる、これじゃ人情が移りっこはないんで、そこいらの人心の機微というものをやはり若い学生たちには与えていくような配慮が必要であると思います。  

戸叶武

1978-02-16 第84回国会 参議院 外務委員会 第2号

いろいろな歴史が常に権力者本位に物を書かれておりますけれども、歴史秘史というか、日中関係におけるいままでの留学生魯迅時代、戴天仇の時代あるいは周恩来時代、摩承志君の時代、もう日中関係においてそういう中国側にも人が出ておりますけれども、日本でももっと日中関係秘史というか、そういうものをやはり人間関係の結びによって――不幸に彭湃君なんかも一九二九年のクーデターで上海で殺され、彭湃デーは設けられておりますが

戸叶武

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